伊方原発を激しく揺り動かす活断層 「中央構造線について」愛媛大学名誉教授小松正幸講演会1/15資料Ⅱ高松

伊方原発を激しく揺り動かす活断層
—まずは本物の中央構造線を調査せよー
「中央構造線について」

愛媛大学名誉教授
小松正幸 講演
2017年1月15日 13:30- 高松ミライエ6F
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市民の共有財産とする目的で、いち早くこの講演会を開催いたします。ひとたび原発で過酷事故がおこれば、故郷が壊滅してしまいます。二度と“想定外”と言わせないために。
「地震・津波は止められない だが 原発は止められる」

内容が盛りだくさんです。
当日この記載のレジュメは講演会会場で用意されています。
事前にお目通し戴ければ、当日のご理解の一助となります。
59枚あります。一度にUP出来ません。資料Ⅰ(前半), 資料Ⅱ(後半)はレジュメ。Ⅲはご報告の予定。
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RDFファイルはこちら↓
https://dl.dropboxusercontent.com/u/1663305/komatsu/IYONADA-MTL.pdf

「中央構造線についてー伊予灘中央構造線の再検討を主題として」
愛媛大学名誉教授小松正幸

講演要旨
表題が「中央構造線について」というのは些か獏としていますので、「伊予灘中央構造線の再検討を主題として」という副題を付けさせてもらいました。
中央構造線は英語ではMedian Tectonic Line、略してMTLと言います。
以下MTLと記すことにします。(()内の数字はスライドの番号)。
話は、まず、MTLとは何か?という一般論を少しだけ、次にこれに関連して、
私の研究の中でMTLに関係する岩石や構造を扱ったことがありますので、私とMTLとの関わりについて、さらに、今回の「伊予灘中央構造線見直し」のきっかけとなった四電作成の地質断面図を引き合いに、MTLの様々な見方、考え方を紹介し、その後、本題に入ります。

1)MTLは「地体境界(ないし地質境界)としてのMTL」と表現されることがあります。
それはMTLが日本列島の内帯と外帯を分ける大断層、という意味です。
内帯とは領家帯(とそれを覆う堆積層(和泉層群)) よ り 北 側 の 地 質 体 、
外帯とは三波川帯より南側の地質体を指します(1)。
構造「線」というのですから本来は内帯外帯を分ける地表の境界線のことですが、実際には断層面が地表に現れた線ですから、断層そのものをMTLとするのが一般的です。遅くとも白亜紀後期(約7000万年前)には左横すべり断層として形成されていた、と考えられています(2,3)。
これがどのようにしてできたのかについて、少なくとも後々まで尾を引く2つの考え方(高角左横ずれ断層説、低角衝上断層説)があります。
現在のMTLは地形的には極めて明瞭な直線的形状を成しています。
これは、新しい“MTL”が高角の活断層として古いMTLを切ってできたものと考えられています。紀伊半島西部から四国中部にかけて、MTLの位置と活断層“MTL”の位置はほぼ一致しています。そのため、この活断層をMTLと呼ぶ人もいます。
そういう人は「MTLは高角の横すべり断層」と定義します。方や、本来のMTLは低角の層だと考えている人は、そのような定義に反対します(3〜5)。
しかし、後で見るように定義論は別にして「高角横すべり断層説」は重要な意味があります。

2)私は第三紀の瀬戶内火山岩に包有される深部岩石片の研究をしたことがあります。
この研究から領家帯岩石の下に三波川変成層があることを発見しました。
地表では領家帯(+和泉層群)と三波川帯は高角の“MTL”で堺されているように見えますが、実は本来のMTLは低角で北側に傾斜しているために、領家帯の下にMTLがあり、その下に三波川帯が存在するのです。
そればかりでなく、私の研究した八幡浜の大島では、領家帯の岩石が三波川帯のずっと南に張り出して、三波川変成岩の上に乗っていることが発見されました。
大島変成岩は深部から上昇する過程で流動変形を受け、さらに地震を起こしながらもっと上に持ち上がってきたことが分かりました(6〜13)。

3)四電の申請書を見ていて、奇妙な図があることに気がつきました。
それは、佐田岬半島の地質断面図で、三波川変成岩の上に和泉層群が描かれていますが、両者の間に断層が引かれておらず、一見すると和泉層群が三波川変成岩の上に堆積したように見えます(14,15)。
これは日本列島の地質学の常識に反します。どうしてこのような断面図がまかり通ってきたのか?
この問題が伊予灘MTL見直しのキッカケとなりました。
実は本来のMTLと活断層の“MTL”が分離しているところがあります。愛媛県の国道
33号線東温市から西条市側へ越える峠からMTLは南に屈曲し(桜樹屈曲)、砥部を通って伊予市双海(上灘)までトレースできます。ここではMTLは第三紀以降動いた形跡がありません。そのため、本来のMTLはʻ死んだ断層ʼ、とされました。
これが一般化されると、地体境界としてのMTLは死んだ断層であって、単に地質
体を分ける境界線の意味しかない、ということになり、伊予灘のMTLも実はこの延長で片付けられてしまったのです(16,17)。

MTLについて、いろいろな見方があるということは、MTLがまだ完全には分かっていない、ということです。
MTLに限らず日本列島のどの断層や構造についても、最早疑問の余地がないというほど調べがついているとことはどこにもありません。ですから、
どこそこの原発地盤が安全だと主張しても、それは現在の知識や理解に基づいて
そう主張しているのであって、調査が進めば、あるいは解析の仕方や認識のレベルが変われば、そこは実は安全ではなかった、ということにもなるのです。
自然の認識は常に相対的であって、絶対はありません。

4)話の本題は伊予灘の本来のMTLはどこにあるか、それは活断層か?ということです
(18,19)。
本来のMTLが死んだ断層ではなく活断層だということを、最初に発見したのは別府湾における京大グループの地震波探査です(20〜30)。
それに続いて四国東部・紀伊半島での陸上の地震波探査でもMTLが活断層として再活動していることが分かりました(31〜33)。
私達は、伊予灘での四電の地震波探査結果から伊予灘でもMTLが活動していること、活断層MTLが佐田岬半島の沿岸すれすれに走っていることを実証しました。
伊予灘で検出されたMTLは、西は別府湾で検出されたMTLに、東は長浜下灘で発見されていた「沿岸活断層」に繋がります(34〜53:このうち36〜40は基礎知識の解説)。

5)伊予灘の形成史を編んでみます。
伊予灘の深い堆積地溝、すなわち、ハーフグラーベンの形成過程(54)と、その
後の変化発展過程を堆積物と断層の構造から組み立てる試みです。
別府湾ではこの試みはある程度成功しています。それは西に連続する平野部の同じ時期の地層群がよく調べられていること、さらに西の豊肥火山地帯が同じ時期にハーフグラーベンとして形成されたことが分かっており、それらとの対比が可能だからです。
別府湾のハーフグラーベン形成の最初の時期は500万年前とされています(55〜57)。
伊予灘の場合には音波探査、地震波探査の記録だけが頼りです。
沢山の探査がありますが、最も深いところ、すなわち堆積盆の底まで探査しているのは、私が知る限り四電の11本の測線(最大深さ3km)で、つぎに深く、新期堆積物の下部層についてある程度の状況が分かる程度まで(約160m)達しているのが、四電の初期の探査、国土地理院の探査です。
大学などの探査は上部の堆積層を狙いとしたもの(100m以内)です(58)。
伊予灘堆積物(A,D,T層)のうち、A層は氷河期に干上がっていた瀬戶内海に海水が入ってきてからの堆積物(沖積層)で、最大の厚さは
40mですが、平均的には10〜20mです。
D層は最終氷河期前(30万年前〜数万年前)の堆積層(20〜40m)、
T層は最大2500mに達し、堆積期間も長く(500万年前〜30万年前に相当
)、その間何度か断層運動で上昇し削剥され、また、変形を受けて褶曲しています(59〜67)。
ここで分かった重要なことは、伊予灘別府湾別府・島原地溝は一連の連続する地溝帯であること(68〜70)、
その形成にはフィリピン海プレートの沈み込み方向が重要な役割を演じている、ということです(71〜74)。
4月に発生した熊本地震はこのことをリアルに示しました(72)。

6)現在、南海トラフにおけるフィリピン海プレートの沈み込み方向は斜め西寄りです
(68)。
このことがMTLに西向きの押す力を与えています(73,74)。
とくに、中部九州の西側、熊本地域ではこれが西向きから南向きに変化しており、
それに平行な日奈久断層で地震が起こりました。それに続いて西向き方向にほぼ平行な布田川断層でM7.3の本震が起こりました(75)。
前者の震源断層はほぼ垂直、後者は80°北西落ちです(76)。
布田川断層は別府島原地溝帯の南縁を画する断層で、本来は低角北西落ちの正断層(ハーフグラーベンをつくった断層)でした。
布田川断層はMTLに関連する大分熊本構造線の一部で、これが九州のMTLだという人もいます。これが今回の地震で高角の横すべり断層に化けたのです。明らかに運動が変化しているのです。
ところが布田川断層帯を離れ、北側の地溝帯では正断層型の地震が起こっているようです。地溝の南縁で横すべり断層型、地溝帯で正断層型地震が同時に起こったのです。実際、阿蘇カルデラ内で地殻水平移動を詳細に解析した結果、阿蘇市の真ん中をN30°E方向の線を境に、東側では東から西へ移動し、西側では南から北へ移動したことが分かりました(79)。
N30°Eの線は潜在的な断層で、この線に沿ってM5.8の地震が発生しています
(78)。
つまり、この断層より西側は南北に開く運動が続いているのです(77〜82)。
別府島原地溝帯は生きているのです。
別府島原地溝帯の開く運動は、現在進行中の沖縄トラフの開く運動の連続だという見解があります。
別府島原地溝帯の南縁断層は同時に南海前弧スリヴァーの北縁断層でもあります。この高角右横ずれ断層を堺に東側ではスリヴァーが西進し、反時計回りに回転するように動き、北西側では地溝帯のハーフグラーベンをつくる南北に開く運動が依然として続いている、と見ることができます(83、84)。

7)では、四国西部、佐田岬半島において、現在、西向きに押されている力を受けて、高角横すべり運動を行う断層はどれか?これが新たに浮かび上がった論点です
(85)。
それと同時に、別府島原地溝の開く運動がどこまで及んでいるか、がもう一つの問題です。この地域には伊予灘沖の活断層と、私達が唱える本来のMTLがあります。後者が低角の活断層として伊予灘のハーフグラーベン形成に関与したことは実証しました。
これが別府島原地溝布田川断層の関係で見たように、高角の横すべり断層に転化しているか、が問題です。これについては後で述べ、その前に、四電が主張するよう
に、沖合活断層は南海前弧スリヴァーの北縁断層(右横ずれの高角断層)であるか、どうかを検討します。
根拠としてあげている3つの事象は、いずれも高角右横ずれ断層説を証明する証拠としては非常に不十分で、むしろ、正断層が卓越すると見た方が合理的で
あり、一本の高角横ずれ断層とするよりは、沿岸近くにある活断層を含めて幅広い
引張性の断層帯を形成していると見るべきです(85〜100)。
それはすなわち、伊予灘は現在も開いていることを意味します。

8)沿岸活断層について、
西側は活断層の佐賀関断層に連続し、東側は西浜下灘の高角活断層に連続する、と言いました。
産総研・四国総研(2001)の報告によれば、下灘上灘高野川の沖合500〜700mは急勾配の斜面になっています。緒方(1975)は音波探査の結果、ここでは和泉層群と新期堆積物の間が断層であるとしています(101〜103)。
そしてこの断層は東は伊予断層に、西は下灘長浜の高角活断層に連続します
(104〜106)。
沖合活断層は横すべり断層ではなく、探査断面を素直に見れば正断層系です
(107)。
私達はMTLが伊予灘沿岸すれすれに走る低角の活断層であることを先に提起しましたが、引き続く検討の結果、現在この位置は、布田川断層に対応する高角横すべり断層ができつつあると確信するに至りました(108)。まだ多くの点は仮説
の域を出ませんが、その一つ一つについて事実を明らかにすることが絶対に必要です。

9)佐田岬半島の数百m沖に活断層が走るとなると、陸側海岸はこの断層の影響を受けている可能性があります。
大きな断層ではしばしば断層面に並行して小断層やカタクレーサイト帯が形成されています。この部分を断層ダメージゾーンと言います(109,110)。

私たちは伊予灘沿岸長浜から佐田岬半島の先端まで、とくに突き出た岬(鼻)を歩いてダメージゾーンの調査を行っています。これらの沿岸域、とくに佐田岬半島は切り立った崖になっており、その先に海は急に深くなっています。
そして沿岸の岩石は大小の無数の断層や亀裂によって切断されズタズタになっていることを発見しました。これぞまさにダメージゾーンです(111〜115)。

10)ここまで諸問題を解いてきましたが、いま最も問題となるのは、伊方を含む40〜50kmの範囲について沿岸海域の詳細な資料が公開さられ(されて)いない、あるいは十分な調査がなされていないことです。
私達は、海底の情報については音波探査、地震波探査に頼らざるを得ませんが、
探査の結果ʻないʼと言われれば完全にʻないʼことになりますが、複数の機関が探査を行ったところでは、1機関がʻないʼといっても、他機関がある、ということもあります。ですから、複数の機関によるクロスチェックが必要です。
私たちはこの領域について、原子力規制委員会の責任で海陸統合地震探査を行うよう要請したところです(116〜118)。

2017.1.14 講演主旨他資料追加。

  by setonokaze | 2017-01-07 22:35 | 脱原発アクション

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