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福島を知りたければ、チェルノブイリに学べ 第2編

福島を知りたければ、チェルノブイリに学べだ。
隠蔽されたこと、被曝、事故の始末。
福島の25年後が透けて見える。

事故の30時間後(1986年4月27日 午前11時)
1000台以上のバスがプリピャチ市内に到着。
午後2時 避難命令が出されます。
園児にはヨード剤が配られました。

早い段階で27人が死亡しました。
他の患者も全員重度の火傷により危篤状態に陥りました。 
後の15年間公式にはこの時の死者数のみが発表されます。

プラウダ紙には小さく事故の記録が出ましたが
そこには、危険は去ったと記されていました。

福島とチェルの相似点はいくつも。。




次の事故が起る前に原発はやめた方がいい。
引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                          テロップ書き起こしby lituum

チェルノブイリ(連鎖爆発阻止)の闘い (2_7)

4月27日 午前8時 ( pripyat )
まだ、正式な発表はありません。
当時5歳だったユリアの父親は発電所に勤務していました。
父はすでに事故を知っていました。(Yulia Martchenko Refugee from pripyat )
しかし、普段どおりに 両親は私を幼稚園へ連れていったのです。

事故の30時間後(4月27日 午前11時)
1000台以上のバスがプリピャチ市内に到着。
午後2時 避難命令が出されます。
園児にはヨード剤が配られました。
皆慌ててはいましたが大きな混乱はありませんでした。
すぐに戻れると思っていたからです。
当局は事態の深刻さを隠したまま、
2時間で荷物をまとめるよう人々に命じます。
当時持っていた人形を全部連れていきたかったのですが、
すべては荷物に入れられませんでした。
防寒着も置いていきました。
実際は、これが住民にとって故郷との永遠の別れでした。
避難命令を拒み、留まった人は数週間後遺体で発見されました。
年配の人々は迫り来る危険を信じようとはしませんでした。
第二次世界大戦時ドイツ軍に侵攻された時とは違い、
放射能という敵は目に見えず脅威を実感せきなかったからです。
当時は、じっくり説明する時間的余裕もありませんでした。

(4月27日 午後5時)
三時間半で4万3000人が大きな混乱もなく避難します。
バスの車列が町から離れていきます。
この時、彼らはすでに被爆しており、その後健康の不安を抱えます。
プリピャチは本当に美しい町です。いつかは住民は戻るべきです。
子供たちのためにもね。どこにいても人生には、リスクがある者ですよ。

事故から48時間後
ゴーストタウンと化した町に、
専門家チームと軍による対策本部が設置されました。
彼らは放射能で汚染された建物に泊まりこみました。
こんな自作行為を行ったなんて今でも信じられません。
もちろん彼らは過去にも原発事故の経験はありました。
しかし、これほど大規模な例はなかったため,事態を甘く見ていたのです。
1〜2ヶ月で運転を再開できると考えていたぐらいですからね。

放射性粒子は風に乗り、北へ運ばれました。
そして26日から27日にかけ
ロシア、白ロシア、バルト諸国へと粒子は拡散します。
28日にはスエーデンでも、大量の放射能が検知されました。
そして、
この放射性粒子は雨に混じり、ストックホルムに降り注ぎます。
異変に気づいたスウェーデン当局は測定結果を基に原発事故の発生を疑います。
事故から60時間経ってもソ連からの公式発表はありません。

事故当時、私は国際原子力機関の事務局長を務めていました。
( Hans Blix Director of the International Atomic Energy Agency )
事故後、スウェーデン当局から電話があり、放射能の増加についてしりました。
そして原因は他国のようだが情報はないかと聞かれたのです。
今は何も分からないが調査すると私は答えました。
そしてすぐにポーランドやソ連へ放射能漏れはないか問い合わせました。
スエーデンから放射能が検知されたと知らされ、
ただならぬ状況にあることをソ連政府は初めて悟ったわけです。
 
事故の3日後
欧米の軍事衛星はチェルノブイリ原発事故の様子をカメラに収めていました。
4号機からの煙や熱がはっきり確認できます。

4月28日の夜
ようやく国際原子力機関にソ連の原子力委員会から原発事故の報告がありました。
そして同時にソ連政府は世界に向けて事故の発生を公表したのです。
ソ連の中央委員会政治局はあらゆる事実を把握すべきだという方針を固めました。
私はKGBを使いました。
科学者同士の会話などを含めあらゆる情報を収集させて、私に報告させたのです。
しかし事態の把握には2日以上が費やされ、
その間に4万3000人以上のプリピャチ市民が被爆しました。
1200トンのガレキとなった炉は3000度の高温で燃え続け、
放射能を含んだガスやちりをなおも放出し続けています。
欧州の安全も風向き次第です。
 
( Chernobyl 28 April )
よし、出発するぞ。
事故から3日後アントシキン少将は消火活動のためモスクワを出発。
上空200メートルから現場を視察しました。
火災のため現場上空はかなりの高温に達しておりそれだけでも大変でした。
あの時用意した線量計で測れる最高値は5000レントゲンでした。
(Nikolai Antochkin General Air Foce )
しかし、針は完全に振り切っていましたよ。
おそらく1000レントゲン以上あぅったはずです。
高度200メートルでも30分が限度です。
温度と放射線量を考えればこれ以上近づくことはできません。
何か別の対応策が必要でした。
煙が出ているし、温度も高すぎる。窒素を使った方がいいだろう。
一刻も早く炎を消して、
炉を封鎖し炉に接近出来る環境を作る必要がありました。
放射性粒子が風で拡散するのを食い止めるには
現場に近づいて作業しなくてはいけないからです。
アフガニスタンから急遽帰還したパイロットがヘリを操縦して、
兵士が80キロの砂袋を素手で炉の中へ投下します。
炉の中には放射能を中和する働きのあるホウ素も投入されました。
初日は110回2日目は300回作戦が実行されます。
致死量の9倍に相当する3500レントゲンもある現場上空を
1日に33回飛行した兵士もいました。
1回の飛行で最低でも5〜6レントゲンを被爆しました。
眼下に広がる炎のせいで兵士たちは汗だくでした。
数回の任務をこなしたら食事をとるのですが、
皆、後でおう吐していました。

被爆した者はモスクワ第6病院へ搬送されました。
国内で急性放射線症の治療を行えるのはこの病院だけだったからです。
急性放射線症の初期症状はおう吐や悪心、下痢などです。
潜伏期間を過ぎると脊髄の障害や放射線火傷などさらに深刻な症状が現れます。

空港から搬送されてきた患者を見て胸が痛みました。
( Natalia Nsdejina Doctor in Nuclear Medecine Hospital No.6 )
ほとんどが若者だつたからです。
皆、潜伏期間中だったため元気で全員が同じパジャマであることを冗談の種にしていました。
しかし、彼らの多くは死ぬ運命でした。
早い段階で27人が死亡しました。
他の患者も全員重度の火傷により危篤状態に陥りました。 
後の15年間公式にはこの時の死者数のみが発表されます。

( Chernobyl 1 May )
爆発時の放射線の影響で現場から30キロ東にある森が枯れました。
やがて、雲に運ばれた放射性物質が雨となって地上に降り注ぎ
さらに広範囲の森を枯らせます。
森林の放射能汚染はまだら状に拡大していきました。
5月1日キエフの町にも放射能に汚染されます。
これは放射線量を記したキエフの地図です。
汚染が激しい赤色の地域を通常値の地域が取り囲んでいます。
市民は何も知りませんでした。
プラウダ紙には小さく事故の記録が出ましたが
そこには、危険は去ったと記されていました。


                         (つづく)
  
( )は注釈です。
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チェルノブイリ(連鎖爆発阻止)の闘い。2−7


チェルノブイリ原発事故の放射能汚染による被爆者と石棺までの動画
社長のブログhttp://shachoublog.net/nyu-su/cherunobuiri-douga.htmlより
注)原画のタイトルはチェルノブイリの闘い。(The Battle of Chernobyl )
全7編あります。順次UPの予定です。
追加)2013.5.3
きれいな元画?見つけた。こちらは10編。
http://www.youtube.com/watch?v=4pxIFjcC3YU&list=SPABE2AE88CAC68D82
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1. 福島を知りたければ、チェルノブイリに学べ 第1編 
  http://lituum.exblog.jp/20372694/
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追加)2013.8.2 チェリノブイリを チェルノブイリに用語統一。

  by setonokaze | 2013-05-02 23:29 | チェルノブイリ

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