進まぬ除染 福島・飯館村はいま / こちら特報部 ニュースの追跡 東京新聞
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ちょい遅れだが、重要な情報源。
【 事故から3年 福島・飯館村はいま 】 要約
昨年に続いて京大原子炉実験所の今中助教らによる放射線測定調査に同行。
公開されるモニタリングポストの線量はさほど高くない。
だが、雪深い現地に入ると、それがうわべだけの数値であることに気付かされた。
雪をどけると線量急上昇
原子力規制委員会のホームページで閲覧できるもモニタリングポストのデータによると
立ち入り自由地区で概ね毎時1マイクロシーベルト未満。
飯館村唯一の帰還困難区域の長泥地区、固い雪で覆われた田んぼの上
毎時2マイクロシーベルト 年間10ミリシーベルト弱相当だ。
地面を少し見えるようにしただけで、 毎時5マイクロシーベルト
帰還困難区域外でも雪をどかして計測すると、同じような傾向。
今中助教は
「地面の放射性物質が出す放射線が雪で遮られるのが現在の状況。
線量が低く見えるのは除染がどうこうということじゃない」
予想超す廃棄物 の行き場がない。
そもそも飯館村では除染は進んでいない。
宅地は 9%
農地や森林は 5%前後
道路は 1%弱
除染完了のめどは
生活圏が 2014年内
残りは 2016年内
長泥地区に至っては見通しが立っていない。
放射性物質は周辺の山林から飛んで来る。
除染で線量を下げるには山林までしっかり除染しなければならない。
膨大な時間と費用がかかる。
だが、
飯館村は長泥地区以外の地区の避難指示解除目標を16年3月とする復興計画案を示した。
1月末の村民意向調査によると
「現時点で村に戻りたい」は 60代以上 3割にとどまる。
「現時点で村に戻らない」は 30代以下 6割を超えた。
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飯館村は (HPより)
阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村だ。
2011年3月14日 引用2
「大変なことが起きている。空間線量が40マイクロシーベルトを超えている。」
「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」
部落の人に危険を知らせました。
3月15日の朝 6時半に地区の人が続々と集まってきた。
その頃、100マイクロシーベルトは超えていた。
公式に発表された数値は 午前6時20分 44.7マイクロシーベルト/時
村は避難対象にならない。
一部の人しか避難しませんでした。
(引用2で詳細が分かります。是非、読んでみて下さい)
さほどに、汚染された。
そして、お上は最初から、隠ぺい。
いまだに、隠ぺい。
隠ぺいに、全力を挙げている。
もはや、「飯館村は不都合な真実」なのだろう。
いや、「F1の爆発そのものが不都合な真実」なのだ。
除染は、
万能ではない。
全能でもない。
除染には、限界がある。
除染したから、安全だと言う。
お上の都合だ。
きちんとした、
計測が不可欠だ。
「頼りとなる学者の見立てを大切にする」
生き残る、知恵だ。。
特に、若い方、子ども、孫の為に。。
注)個人の感想です。
引用1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京新聞 2014年3月22日
引用2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福島県飯館村前田区、長谷川区長さんのスピーチ 2011.11.27
http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111127/1322433832
今日、ベルリンにて、ブント(ドイツ自然•環境連盟)、ドイツ放射線防護協会、ベルリン日独平和フォーラムという三つの団体が共同で「福島県の人びとによる報告」と題する講演会を行った。
参加者は120人ほど。日本人もたくさん来ていた。非常に濃い内容だったので、そのすべてをここに記したいところだが、ひとまずは講演者の一人、福島県飯館村前田区区長である長谷川健一氏のスピーチ内容を紹介したい。大変印象深く心を打つスピーチであった。録音機などは持参しなかったので必死にディクテーションした。そのため、100%長谷川氏の言葉通りではないことをあらかじめお断りした上で、内容をできるだけ忠実に書き留めたものを以下に転載する。
私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。私の住む飯館村にプルトニウムが降ったのです。放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。
事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」
しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。翌朝、3月15日の朝、6時半に地区の人が続々と集まって来ました。そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。私は、地区の住民に言いました。「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。そのとき、北西の風が吹いていました。飯館村は原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。
私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。しかし、それはかないませんでした。避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。ですから、一部の人しか避難しませんでした。
これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。44.7マイクロシーベルト/時と書いてあります。ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。
そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。しかし、その少し後に、今度は別の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。
そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。その後、村は計画避難区域に指定されましたが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」と突然言われ、村民は怒りました。
私は酪農家です。この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。毎日、牛乳を捨てました。村が避難の対象となったとき、牛は連れて行ってはいけないと言われました。私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言いながら追いかけました。そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。彼はそれが悲しくて泣いているのです。飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。
そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。「原発さえなければ」と書いてあります。「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。
これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。27,62マイクロシーベルト/時と出ています。現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。
私は、国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。ところが、事故が起こって、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。
今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。そんなことは絶対に阻止しなければなりません。これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。
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by setonokaze | 2014-04-02 22:41 | 東京新聞