人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ラッセル・アインシュタイン宣言  一考察(原発の恐ろしさを思い知る。)

今日ご紹介するのは

57年前の
ラッセル・アインシュタイン宣言            参照3
あらためて読んでみた。

核兵器が世界を滅ぼすと警告した。
有名な宣言。

原発は
核の平和利用と言われ、
核爆弾を2発投下されたこの国に
原発が平和の象徴として多数作られた。

だが、
原発の原理は原爆と同じ。
原発は爆発すれば、ダーティーボム。
多くの核物質をまき散らす。
立派な原爆だ。
テロのターゲットにされるのは
この為だ。

この宣言を
原発に置き換えて読んで
みたら、びっくりした。

なるほどなのだ。
どこがどうなるほどなのか
(浅学を顧みず,恐れ多くも)
考察してみた。


1. 原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

[F1の事故で放出された核物質は広島の168倍。メルトダウンで、福島が汚染された。4号機のプールの水が抜け、メルトダウンが起れば、東京が終わると言われている。]                                               参照1

2.  ビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

[原発事故によりばらまかれる放射能は、外部被曝、続けて内部被曝を起こす。徐々に被害を広げる。]

3.  もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。

[核燃料がメルトダウンし、水蒸気爆発すれば、F1の水素爆発と比較にならない程、大量の放射能物質をばらまく事になる。プルームがながれ、広く汚染する。
チェリノブイリ事故は広島原爆の約400倍の放射性物質の放出。16万人が移住。]                                            参照2

4. もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

[世界の原発が多数事故を起こしたら、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはばら撒かれた放射能物質により、じりじりと病気の苦しみをなめ、細胞の再生は行なわれず、肉体は崩壊してゆく。]

5. 著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。

[原発が危ないとは、決して言わなかった。誰も言わなかった。政府も、電力会社も。それどころか、官民一体となって、安全神話を構築し、原発は放射能を出さない。クリーなエネルギー。と宣伝し、国民の大多数がそれを信じた。
誤れば、爆発するとは、誰も言わなかった。言おうとしなかった。]

6.  私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。

[ 大規模な原発爆発事故が起れば、人類に絶滅をもたらす。それとも人類が原発を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。]

7. 戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。

[原発の廃絶は国家に不快な制限を要求するであろう。「人類」という言葉が漠然としており、原発が人類のためになる。は抽象的。国家が優先される。]

8. 危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。

[原発の爆発による危険は 自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。平時はその恐れを身近に考えられない。しかも、一度、過酷原発の爆発事故が起れば、状況によっては、じわじわ死に至ることもほとんど知られていない。]

9.  おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。

[おそらく、原発による発電はつづけてもかまわないと思っている。]

10. もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。

[一国が原発をやめても、他国が、原発をやめなければ、経済的に勝ち残れない。(「注」現在は原発の発電コストは事故、廃炉費用を勘案すれば、一番高価な発電システム。コストを問わない核兵器とは同列に論じられない。)]

11.  人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

[平和利用であれ、核の脅威は同じ。核の使用をやめるなら、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。]

12. 核の利用は平和利用であれ、一度誤れば、人類の存続を脅かしている。

宣言は
そんなに長文でないのでぜひ読んでみて下さい。






注)個人の感想です。
引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)
ラッセル・アインシュタイン宣言  一考察(原発の恐ろしさを思い知る。)_b0242956_21134691.jpg

●バートランド・ラッセル(左)、アルバート・アインシュタイン(右)

人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。
私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。
政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない 生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。
私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。
私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。
水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。
信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。
著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。
さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。
戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。
この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。
大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。
「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」
1955年7月9日 ロンドンにて
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

出典 http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参照1 
 当ブログ 福1原発から広島原爆の168.5倍の放射性物質がまき散らされた。の考察     http://lituum.exblog.jp/18211109/]
やはり、4号機の燃料プールの水が抜けたら、放射能汚染は日本全土におよぶとこだった。
http://lituum.exblog.jp/19776994/
参照2 
当ブログ チェリノブイリの今  元広島市長 平岡敬  http://lituum.exblog.jp/19442677/
参照3
バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル
イギリスの哲学者、論理学者、数学者。
1950年 - ノーベル文学賞を受賞。        wiki
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  by setonokaze | 2013-02-11 21:35 | 原発

<< 「福島の子どもたち香川へおいで... 31回目四電本社前再稼働反対 ... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE